持ちつ持たれつ。

今日はある意味夢みたいな出来事が起こった。

ついこないだまででお世話になっていた人で、

きっとこれ以降は顔を合わせる機会がなくなる

んだろうなと思っていた人と食事にいってきた。

何で夢みたいかっていうのは、教師が生徒や

保護者と個人的な繋がりを持つべきではない

という考え方と一緒で、どれだけこっちが慕った

としてもその場限りでしかないのかななんて

諦めてたから。

これまで顔を合わせる機会はたくさんあったけど、

今日ほどまともに会話をしたのは初めて。

ずーっとこの人どんな考えを持っているんだろう

とか聞いてみたかったことが聞けて良かったし、

今だからこそきっと話してくれたんだろうなって

いうような部分も見られて本当に楽しかった。

あと、実は今日はもう一人会えて嬉しかったのが

スタテニイベントから少しずつ交流を持っている

Nさんとの再会。もう昨日の時点でNさんの店に

行くことが確定していたからあらかじめインスタの

DMで挨拶をした上でお店に行ったけど、今回は

最初なかなか気づいてもらえなくて焦った。

ただ座席案内されて近くに寄ったときにまた

気づいてもらえて一安心。実は去年の夏に

一度行った後、丁度テニスの上達にすごい

悩んでいるときで、何かアドバイスをもらえない

かなとか真剣に考えていたときがあった。

その時に「お話ししたいことがあって」みたいな

感じでNさんがいる日程を確認したことが

あったんだけど、そのコンタクトをとって以来

実際は池袋に出向くことはなくって時々思い出して

はいつかまたちょっと挨拶する程度でも良いから

会いたいなと思っていたわけ。

最初に「1人で来ると思ってた」なんて話を

してたからひょっとして話を聞いてくれる

つもりでいたのかもしれないけど、もしそう

だとしたら少し申し訳ないことをした。

でも今のところテニスの伸び悩みについては

あまり深刻には捉えていないし、なによりも

一番近くで見てくれてた人からこの1年で

上達したという言葉をもらえただけで

この1年の自分の取り組みは確実に結果を出して

いたんだと思えた。

年齢を重ねるにつれて、この人とはここまで

かなとかって結構バッサリ関係を切ったり

することがあるけど、そんな中でもまだ自分の

中で残っている人たちって言うのは、きっと

今後も自分が何か立ち止まったときとか、

元気をもらいたいなっていうときに救って

くれる存在なのかもしれない。そんな人たちの

ことは大切にしたいし、かといってその人たちと

一緒にいる時間に依存しすぎてもいけない。

あとは、逆に自分が相手からそう思ってもらえる

存在になりたい。お互い思いやりを持っている者同士の

交流ほど心地良いものはないから。

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