丁寧さってその作業の様子を直接目で見て
感じられるものもあれば、その場面を見る
ことはできなくとも、できあがったものを
見て十分感じられる丁寧さもあると思うの。
今日は新しいガットに張りたてのラケットで
テニスをしていてそう思った。
正直打ち心地は毎回思う新しいガットの
ピンと張ってる感じ以外の大きな違いとかは
分からないんだけど、ラケットに貼ってある
テンションだとかの数値が書かれているラベルの
感じを見てそれだけでもなんだか丁寧な仕事を
してくれてるんだろうなあってのが伝わってきた。
それで思い出したのは一昨日書いた手紙のこと。
おそらく一昨日は疲れて寝てしまったから書いて
なかったと思うけど、大事な話をしたいのに
なかなかコンタクトの取れない保護者に手紙を
送ったわけ。しかも面倒なのが自分の意思だけで
それができるわけではなくて、複数の人に自分の
考えた文章を添削してもらって、そのあとようやく
便せんに書くことが出来た。周りの職員はまさか
自分が手書きのものを用意するとは思っても
みなかったみたいだけど、みんな手書きの手紙の
偉大さを何一つ分かっちゃいない。たぶん、
人としてまともな感覚を持っている人なら
Wordで入力した文書を印刷した紙が封筒に
入っているより、手書きの文字で書かれた手紙
をもらった方が読もうという気になるはず。
本当に自分の思いを伝えたいならそれくらいして
当然じゃないの?その一手間をめんどくさがって
適当なことしちゃうような奴は相手のことを
本気で思っていない生半可な奴としか思えない。
世の中結構他人のことシビアに見てる人間は
いるもんだよ。手書きが持つ力をなめたらいかんて。