お互い未熟だって認め合えるようになれば未来が変わるかもしれない。

自分だって周りのみんなに「未熟者です」

「まだまだ技術が足りません」なんて言うのは

恥ずかしいけど、でも誰かがそれを言い合える

きっかけを作れたらきっと職場の環境は今よりも

良くなるような気がする。そのきっかけに自分が

なれば良いと思いながらも、そんな勇気はない。

現状、自分からしてみれば職場はクズの集まり。

でも、個人レベルで何かしら優れた点はあって、

ただ、それを分け与えることができていなかったり、

変に自惚れていたりだのなんだので才能の持ち腐れ

をしているような気がする。

そして年齢が上がれば上がるほど勤続年数が長い

イコール経験豊富なベテランみたいな感じで

自惚れて周りの若い連中が新しい風を吹かそう

ものなら「俺らの時代は」「そうじゃないんだよ」

みたいな邪魔をしようとする。

でもな、お前らが思い描いているような教育

活動ができるような時代ではもうないんだよ。

若者から学べ。そして、自分らは既に若者

とは言えないけど、そんな自分らももっと

ベテラン勢から学ぶべき事があるはず。

でも、ベテラン勢はその本来自分らが持っている

才能を開示しようとしない、もしくはもう枯れて

その才能を発揮できなくなってしまっている。

このお互いの怠けというかなんというか。

ここを互いに解消できればきっともっと良い

環境になると思うんだよ。

そして思った。飲みにケーションなんて

単語があるけど、飲み会の必要性って何なんだって。

いろんな考え方があると思うけど、たとえば最近

好意を抱いている先輩は職場ではぶっきらぼうだけど、

酒の場だと穏やかというか、心を開いてくれるというか。

そういうギャップを持っているというかぶきっちょな

人ほど飲みにケーションを通じて関係性を深めて

郁必要があるのかなって。それと仕事でも、飲みでも

同じくらい親しい関係より、そういう飲みと仕事の

場面の違いで関係性に差が出る関係の方が案外

長続きするのかもしれないって。

だからこういう先輩とは普段は適当に接してても

飲みの場ではなるべく近づけるように努力していこう

と思う。

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