たとえ後ろ指を指されようと。

判断に困るときはある。自分のこの思い、本当に正解なの?

でもさ、自分が本気で相手のことを考えて出した結論が

それなら信じてやるべきじゃないの?

そこにベテランかどうかの年数なんて関係ないよ。

本気でその相手のことを考えられたかどうかだから。

担任って毎日同じクラスの生徒のことを見て、考えてって

しているわけじゃん。それがたとえ登校できてる、不登校

だったとしても考えてるわけじゃん?

不登校でも何かしらやりとりできる手段というか、

定期的に要すが確認できる手段を確保して何となく

自分なりにこういう風に持って行きたいなって考えるのが

普通だと思うわけ。んでそれが軌道に乗るかどうかは

別として、この子にはこうだな、ああだなって考えて

やった結果がうまくいかなくても考えてるその時間と

その積み重ねって凄く大事だし、そこを本当に大事に

できているなら担任である自分がやっぱり一番本人

たちのことを考えられてるって結論に至るわけ。

もちろんそういう思い込みをしているだけで全然

子どもたちの期待に応えられていないこともあるかも

しれないけど、もしそうだったら何かしらの拒絶

反応はあるわけで、それがないならある程度受け入れ

られてると思うし、何よりもその姿勢を見た実の子どもの

成長過程を一番知る保護者が否定的にならない限り

間違っていないわけよ。

そういう風に捉えることができれば、今この段階で

足が止まっている連中は他に毎日頑張って来ている

子たちと同じタイミングでゴールを迎えるのは

おかしいって判断に至れるはず。

担任として信じたい気持ちも分かるし、甘やかしたい

んだろうけど、ここまで散々迷惑かけといて最後

どうせ無理でしょって甘やかして苦労させないのは

おかしくないか?それこそ人生甘っちょろいぜって

間違ったことを教えてるも同然だよ。

次のステージに進むってなった時にそれなりの

苦労が伴うのは当然のこと。その苦労を教えて

やるのもウチら教育者の仕事じゃね?

反感喰らうことにビビってばっかで本当に

大事なこと見失ってねえか?よく考えてみろよ。

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