あの涙は虹に代わり明日へ続くはず。

20時半頃、こっちに帰ってきた。
今思えば先週の木曜日に日帰りで向こうへ行って、
金曜日は普通に出勤して今後どーなるかなと思ってた
矢先だったもんね。

この5日間近くのことを細かく書いていきたいけど、
どこまで書けるか、気力が持つかよお分からんけど
頑張ってみよう。

再び家を出たのは金曜日の23時頃。
父さんとウチと代わりばんこで運転をして、
6時半頃に向こうの家に着いたかな。
まあ、夜中の高速道路運転なんて初めてだったから
最初凄い怖かった。
遠方まで見えるライトを付けようか付けまいかずっと
迷ってたけど、どう考えても付けないと危なすぎる
道が途中結構あったから付いたり消したりしてた。
そして朝メシをばあちゃん家で食べて、
10時頃、ばあちゃんのいる施設へ車で移動。

木曜日に見たときと、また顔が変わっていたというか・・・。
目もなかなか開けなくて、口もなかなか開かないし、
もうホントに長くないのかな・・・と察した。
1時間もいたかいなかったか、とりあえず最後にばあちゃんの
頬を優しく撫でて「また来るね」と一言言って帰ってきた。
それからまたばあちゃん家に戻るんだけど、
ウチはもうずっと家に居た。
母さんとか、他の親戚家族とかは交代しながら
ばあちゃんの様子を見に行っていたけど。
そんなこんなで土曜日は終わろうとしてた。
そして寝るとき、家族みんな揃って話をしてた。
「ばあちゃんがいつ亡くなるか分からないし、
ずーっと小康状態が続くっていうのに長い間休んでも意味が無いから
明日にでも帰ろうか」って話をしてたの。
ウチも、姉ちゃんも、兄ちゃんも父さんも・・・って賛成だった。
そう、ウチらはもう日曜に帰る予定だった。
そして就寝。

翌日、母さんに起こされた。
朝だと思ってすぐ起きたんだけど、
時計を見たらまだ深夜の2時半頃だった。
そう、ばあちゃんが息を引き取ったって。
そこからはとにかく大忙し。
3時頃には葬儀屋の人が来て打ち合わせ。
6時頃にはお坊さんが来てお経を唱えてた。
その後は死に化粧とかしてもらったんだっけ・・・?
もう記憶が曖昧だけど、通夜はその翌日だったから
ゆっくり出来るかと思いきや、一日中ゆっくりできなかった。
寝たのも夜だけだったし。

そして月曜日はお通夜。
ご焼香だとかまだまだ経験が浅いし、
ワケワカメな状態だった。
しかも、なんか向こうの部落の独特な葬儀の
習慣みたいなのがあって、それがまあ大変だった。
大変って、ただ聞いてるだけなんだけどね。
お通夜のあとの夕食は、いとこの旦那さんに
ビールをこれでもか、というくらいついで貰って
がっつり飲んできた。
いやー、なんか凄く気が利いて良い人で
甘えちゃったw

火曜日は火葬と告別式。
これまた全部が終わったのは14時過ぎ頃だったかな。
そのあと遅めの昼食を取って葬儀関係は全て終了。
いやー、大忙しだった。

火葬されたとき、ホントにばあちゃんがいなくなったんだ、
とは思ったけど、でも死ぬ直前とまでは言えないけど、
それでも死ぬ前にちゃんと顔が見れたから良かった。
そのせいか、今でもまだあまり死んでしまったという実感が無い。

今回の件で、もっとじいちゃんばあちゃんを大切にしなくちゃ
いけないってことがよく分かった。
そんなこと、長岡のじいちゃんが死んだときに感じておくべきだったのにね。
長岡と滝沢とではまたお世話になった度合いが違うからかな。

とにかく、今回は10年近く会っていなかった
親戚人が多くてなんかもう最初戸惑った。
でもやっぱりあそこの家はいとこがいっぱいいるから
にぎやかで楽しい。そういう意味では幸せだったかな。
にしても、いとこのおじさんがウチの父さんより年上で
65歳とはビックリした!!
どう見ても65歳には見えない若さ。
そしてカッコイイという。なんかおじさん、若い時の武勇伝
的な話をいろいろとしててアレだったけど、まあカッコイイから
許すw
話をしっかり聞いてあげた。

よし、明日明後日と仕事頑張ろう!

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