世の中がおかしいとまで言ってしまうと大げさかもしれないけど、
周りに対して違和感があったのは昔からなのかもしれない。
ウチは物心ついたときからセーラームーンが好きだった。
周りの男子が戦隊ものに夢中な中でそっちには見向きもしないで
セーラームーンが好きだった。元をたどれば姉が観ていたところから
気づいたら自分がハマっていたことにあるんだけどね。
マンションの仲の良い友達には一個下、二個下とそれぞれいて、
全員がお姉ちゃん持ちだった。でも、セーラームーン好きが共有
できたのは二個下の親子のみ。戦隊ごっことか流行っていた幼稚園時代
はめっからセーラームーンごっこ。周りからはオカマ扱いされてたけど、
不思議と当時は傷つかなかった。というより、幼稚園児だった自分に
傷つくなんて感覚があったのかというくらい。小学校に上がってからは
自分のことをよく理解してくれる幼なじみの女の子がいてくれて。
どちらかといえばその子はゲーム好きで男女問わず友達の多いコミュ力の
高い子だった。ウチはなんだか分からないけど気づいたら女の子と話し
している方が楽な気がして女友達が増えていって。そうこうしているうちに
中学3年の頃に女友達が多かったが故に嫉妬されてその結果いじめに発展
するようなことがあった。あのときは本当に人生のどん底を観た気がした。
だって、それまでただの陽キャだった自分が抑えを利かせていかないと
痛い目を見るって感じたから。いじめ自体はこっちも努力したこともあってか
比較的すぐに収まったけど、いじめられたが分からしてみれば一生許せない。
とはいえ、当時は自分も残酷ないじめをしている側でもあった。今でも覚えている。
残酷なことをしていたって。被害者の子はおそらく障害持ちではないかと言うくらい
何をされてもめげない子だった。そんな子と3年間一緒に部活で活動していたんだけど。
今でもたまに思い返しては本当に当時の自分はくそだったと思う。でもそれ以上に
自分をいじめた連中はクズの中のクズ。こいつらのせいで地元の連中との絡みが嫌いに
なった。中学までの知り合いで今でも唯一連絡を取るとすればその小2から中2まで
一緒のクラスだった女の子くらい。それでもその子も結婚をして子どももいて、そんな
手軽にコミュニケーションを取ろうと思うような相手ではなくなった。
でもいろいろ思う。自分はこれまでの人生で何度となく周りとの違いを感じては
最終的に自分の信じる道を進んできたって。決して自分が好きとかそんなんじゃないし、
自分の考えに自信を持っているわけでもない。でも、自分自身と向き合っていく中で
やっぱり自分が自分を信じれなくてどうするんだって。
社会に出てある程度の協調性は身につけてきたつもりだし、昔と比べれば
どんなに不満に感じていても自分をつぶして相手を優先する力も身につけた気がする。
それでもわがままな自分が時々出てしまうけど、幸い今の職場は少しばかりそんな
自分を受け止めてくれる人もいる。
みんながみんないろいろな環境で育ってきて考え方とか違うのは分かる。
自分の考えと一致しない出来事が多いのもそれだけいろんな人生を歩んできた
人たちがいるからだと分かってはいる。でも、結局自分は自分。
納得いかないものはいかないし、あとはやっぱり、自分は常に何かしら
成長していたいんだって気持ちが強いんだって。だからこそ少し残酷な
ことをしてまで自分の成長を優先させてしまう。今だって後悔している。
でもそれが自分の選んだ道なんだもの。周りに対する申し訳なさとか
そんなことで自分を押しつぶすばかりの人生ってどうなの。
多少周りに迷惑をかけても、自分にだって周りを思う気持ちはある。
どこまでを自分中心で考えて行動して、どこから相手を思って行動するか
は今後も自分にとっての課題。
分からない。なにがしたいか。どうありたいかなんて。常に迷ってんだ。